樽生ワイン 誕生 – vol.1

空ダル抱えてフランスへ ドラフトワインについて

こんにちは、ドラフトワイン・システム 南方です。

「樽生ワイン」という言葉、
今ではいろんなところで
聞かれることと思いますが、
始まりは2003年の阪急百貨店
店頭販売で大評判となった
弊社の「樽生ボジョレ」です。

「樽生ワイン」ではなく
「樽生ボジョレ」からスタートしたのはなぜ?

そこで樽生ワインの誕生についてお話できたらと思います。
少々お付き合いいただければ幸いです。

空ダル担いでフランスへ!

2003年に空の樽を担いだ私が
「この空樽にワインを詰めてくれ」と
フランスのワイナリーへ訪ねたのは7月ごろのこと。

ですから、ボジョレの話をするには
もう時間がありませんし、
私自身ボジョレの話をするつもりも
ありませんでした。

とはいえ
「ワインをステンレスの樽へ詰める」
という私に対し、
フランス人の大半は
「こいつは何を言ってるんだ・・?」
というような反応(笑)

当時は同業の日本人ですら
同じような反応でしたから
無理もありませんね。

ポール・ジャブレでの出会い

この時、私が飛び込んだのは
北ローヌの著名なワイナリー

「ポール・ジャブレ」

当時は、ローマ時代からの石切り場跡で、
第二次対戦中にドイツ軍の武器庫だったという
画像の貯蔵庫がまだ使用されていた頃です。

ヴィネウムの貯蔵庫にて

ポールジャブレ ヴィネウムの貯蔵庫にて(2006年頃)

そう、本物の樽生ワインは
現地の厳格なワイン法にかなった
上質で美味しいワインを
ステンレス製の特殊樽に入れ
そのまま日本へ届けるというものです。

濃縮還元した
ぶどう果汁を輸入して作ったものや
輸入ワインを日本で加工して
樽へ詰めたもののことではありません。

なんでも日本国内規準で
ワインと呼ばれているものを
生ビールみたいに樽に詰めて
ビールサーバーで抽出する
見た目だけワイン、ではダメなんです!

樽に詰めるだけで
ワインが美味しくなるなんて
そんな魔法はありませんからね。

今でも有名な「ポール・ジャブレ」ですが、
当時はまだ、創業家の家族経営でした。

時代が良かったのでしょう。
日本から来た私に
社長のミッシェル・ジャブレ氏が
会ってくださいました。
「ワインをステンレス樽に詰める」
という話をなんと直接聞いて
もらえることになったのです。

そして、半信半疑であったと思いますが、
興味を持っていただき、
私の目前で対応してくれそうな
ワイナリーへ自ら電話を
かけてくださったのです。

セリエ・デ・ドーファンを樽生ワインに?

それは、南ローヌの有名な
「セリエ・デ・ドーファン」
ブランドを作っている会社。

そこを訪れると”ステンレス製樽に
ワインを詰める”というプランを
社長が実に面白がってくださり、
「いいよ!やってみても。」と、
なんと早速そのワインを
詰めることが決まります!

いやぁ、大きな空樽を担いで
やってきた甲斐があったというものです。

さあこれで詰めるワインは決まりました!

あとは、「この特殊なステンレス製樽へ
そのワインをどうやって詰めるんだ?」
ということで
樽へワインを注入する方法をお伝えし、
ワインの充填作業を
依頼しなければなりません。

ワインの樽充填には
専用の機材を使用します。
私自身初めてのことですから、
操作方法を知るアメリカから
技師をお呼びし、現地対応
していただくことに決定しました。

いよいよ「樽生ワイン」誕生?

ポールジャブレ 貯蔵庫にて

樽生ワイン誕生後のポールジャブレ再訪時、ワイン管理に樽生の技術を取り入れている様子(2006年頃)

ポールジャブレでの出会い、
セリエ・デ・ドーファンの樽詰め、

樽生ワイン誕生に向け
順調な進展ですが、
最初の「樽生」商品は、
「樽生ボジョレ・ヌーボー」ですから
その「樽生ワイン」はどうなったの?
と疑問に感じられたと思います。

実際「セリエ・デ・ドーファン」の
南ローヌからはボジョレの場所まで
遠く片道200km以上離れています。

そう、ボジョレ・ヌーボー解禁日まで
あと1ヶ月も無いこの時点では、
樽生ボジョレの影も形も
ありませんでした!

ここで事態は大きく変わりることに。

そのお話は、また次の機会に
させていただきましょう。

どうぞお楽しみに!

ご覧いただきありがとうございました。

 

「樽生ワイン 誕生-vol.2 コランブリセとの出会い」へ
(近日公開予定)


株式会社ドラフトワイン・システム
樽生ワイン®&樽生スパークリング・ワイン®
www.draftwine.co.jp/

タイトルとURLをコピーしました